椙山浩一先生が9/30に敗血症性ショックで亡くなられていたとのことで、本日は症例検討会を中止してすぎやまこういち先生追悼記事を展開していきたいと思います。よろしくお願いいたします。
さて、東京生まれのすぎやま先生ですが、我らが大分県と全く無関係というわけではありません。戦時中の1944年に大分県竹田市に疎開していたとすぎやま先生自身が履歴書に記しておられます。
(※まとめサイト等への転載防止のため透かしを入れてます。ご了承ください)
僕もすぎやま先生関係の色んな記事とかインタビューとか読んできましたが、それはもう本当に本当にゲーム全般がお好きな方で、1980年代から既にプロゲーマーを自称されておられまして、当時から遊びの歴史を残そうということでテレビゲームミュージアム館長もされておられました。
<すみません、元画像はもうちょっと大きいんですが、ブログ側で勝手に縮小されるみたいです ↓ >
(ファミ通誌より)
(HIPPON SUPER! 1991年2月号より)
ドラクエ関係は、インタビューで振り返ってみましょうか。
(Theスーパーファミコン1991年7.12号より)
(ゲーム会議8号より)
(すぎやまこういちワンダーランド Will 12月号増刊より)
(ファミ通2019年5.16号付録より)
(大学漫画3号より)
また大変な愛煙家で、愛煙家通信によく寄稿されていたり(DVDもある)
愛国者としてJAPANISMにも執筆しておられました。
(コンフォート2013年6月号より)
自著のゲーム大博覧会も、ポケモンの田尻智先生との対談があったりで面白いですよ。
で、いろいろ書こうと思ったんですけど…
…なんか思い入れが強すぎて書けなかったですわ。
ちょっといま訃報聞いて精神不安定気味なんで、落ち着いたらまた書きます。
いつかは来ると思ってたけど、やっぱキツイですね。
すぎやま先生関係のインタビュー資料とか見たいという方は、僕に言うてくれたら相当量提供できますので。
このへんの本はうちの診療室の待合のコンピュータ本置いてるとこに置いてますので、ぜひ読んでね。
すぎやま先生、僕がゲームミュージックの素晴らしさを意識したのは初代「ドラゴンクエスト」が最初で、オーケストラに興味を持ったのは小学5年生だか6年生だかのときお爺ちゃん(故人)に買ってもらった「ドラゴンクエスト・ライブコンサート」のCDのおかげです。ジーザスやガンダーラ、色んなゲームですぎやま先生の曲と出会いました。本当に素晴らしい楽曲たちをありがとうございました。
安らかにお眠りください。